ONCE UPON Reonard's TIME

Now is getting "history" I can't help feeling nostalgic.

過去と決別、習慣を作ること

寝るべき時刻、スマホを開け、Instagramのストーリーを眺める。

中島みゆきさんの、何時かは不明なラジオに寄せられたリスナーからの手紙内容を聞いた。

 

私は誰が見たってブスでいつもいじめられる、受験する高校には嫌いな男子がいると思うと、勉強が捗らない。こんな自分がイヤになる。でも、こんな私でもいつの日か、きっといいことありますよね。そんな日を夢見て、頑張ろうと思います。あなたのコンサートに向くときは、今と違った自分になれていれば、良いな。

 

きっと勇気を振り絞って書いたんだろう

未来が見えない女の子。今の私と同じ。

 

「いつの日か」を夢見て、頑張ろうと思います、

と思えるほどの、「"夢"と思えるような"いつの日"」を考えてみるのはどうだろう。

私の思う、未来に馳せる希望や、想像って何だろう。

と、夜寝る前に考えてみた。

また沢山食べてしまった夜。

ほぼクリーンなものなので、翌朝(いま)お腹が空いているとはいえ、良くないな、と思いつつ…


今思い浮かぶのは、まず

どうしようとなく大切にしたい、幸せになってほしい、と思える、大好きな人が存在して、

その人にもっと幸せになってもらうため、喜んでもらうため、人生を充実させるために、おそばに居る、

ということ。

私はその人のことを、隣で応援して、認めて、励まして、どうか幸せになってくださいと、願って、その人のために日々を生きる。

そんな気持ちを向けられるような、かけがえない人が存在するということ。

そして、その人と結ばれること。一生を創ること。

 

これがきっと、私の"いつの日"であり、夢。
これでは相手ありきで、相手本位の人生ではないか、と思われるかもしれない。

しかし私にとっては、そうではない。

あくまで相手は私のガソリン。14歳の夏、ジャニーズに魅せられて、「彼が頑張っているなら、私も」という気持ちを抱き、以降3年もの間、勉強に勤しんだ。当時のきっかけとモチベーションは、彼らという相手ありきだが、次第に自分の中に目標と達成感を生み出して、3年も続けられた。

中学2年生の夏休み。summaryに向いた8/6、あの日から、家で過ごしながらぼーっといろんなことを考えた、あの時間や空間は今でもしっかり覚えられている。部活もなく、暇だったんだろう。時間はあった。宿題というタスクもあった。ハワイ旅行というイベントもあった。当時の基礎英語の舞台がハワイだったことも大きいのかな。

私が勉強に対して、無関心の状態からあれだけ夢中になった仕組みを、近々きちんと検証したい。

自分の意志で邁進し、登り詰め、自分を誇りに思って生きた経験は、あの時くらいだ。

もう15年も前だが、一度できたのであれば、また出来るのではと、今考えてみた。徹底した自己管理、やる気、何より習慣として毎日やるという能力と思考を持っていた。

直近だと、昨秋まで、トレーニングや運動に関しては近いものを抱いていた。違う点は、それを発揮したり、認められる機会や場が無い、ということ。意識的なトライアンドエラーをすることもなく、長年、思考停止の状態を続けていたと

振り返る。

 

常に頭脳を使い、指先を動かす

そんな習慣を1つから、始めるべきだ

そのときは必ず時間を決めて。20分や30分で良いのだ。永遠であっては、集中力の存在を忘れてしまう。

 

今の生活は食べることに固執しすぎている。メンタル的に良くないのはもちろんだが、これでは糖尿病や生活習慣病が常に身近にいる人生に変わってしまう。しかも、きっと、一生。

 

過去の出来事を振り返るのは、時によって、気持ちの無駄遣いになってしまう。

反省し次に活かす、そうしてより良い人生を作るべき、と前回の記事に書いてみたが、そうしないほうが良いパターンもある。

 

過去は、現在とは決別しても良いものである。

過去に辛いことがあった、けれどいま、幸せに生きている、そんな人がいるらしい。そう思うだけで気持ちがうんと楽になるし、自分もそうなれるのかも、そうありたい、そうなろう、と考えることができるのだ 

今読んでいる本に書いてあった。

 

今の私は、こうだ

中学2年生の私としての経験は無意識に決別の対象として

昔から今の家庭環境や、長く付き合った恋人を自分の軽く勝手な判断で置いていったこと、深く傷つけた経験 は、"おそらく意識的" に、今の人生を覆うように、重要な位置付けをして置いている。

 

私は今を生きていないのかもしれない

呪いのような、昔の後悔と苦しみ。

これらを意識的に抱いて、懺悔することで、自分の過ちや寂しさを受け入れようとしているのかもしれない。まだ受け入れきれていないから、いつまでもそばにおいて、たまに懺悔し受け入れを試みても、それをしきれないから、何年も続けてしまっているのかもしれない

 

なんど懺悔し涙を流したか 数えきれない

 

もう自分と周りを許してあげて、自分を苦しみから解放してあげよう。

 

そして生活を前向きな方向へ、戻していこう。

 

振り返りは、無意識に行う程度で良いのだ。

その他が必要な振り返りが頭に浮かぶはずだから。

 

今日は朝5:50 起床、

お弁当を作りそばを茹で、

あさ30分の脚トレーニングをした。楽しかった。

毎朝20分の運動を続けようと思っている。効果がどうこう、ではなく、習慣にすることを目標にする。朝の運動はやはり気持ちが良いし、達成感は大きい。

 

このブログを書くことも朝の通勤時間にできた。すっきりした。もうすぐ会社の最寄駅に着く。

 

今日はずっとマッチングアプリでやり取りをしてくれている同い年の男性が、2ヶ月間のアメリカ出張を終え、日本に帰国する日。あと3.4時間程か。

母の会社の同僚は昨夜ハワイへ飛び立ったらしい。あー羨ましいね。

 

またハワイ行こうね、お母さん。

今度は全額出して、連れて行くからね。