ONCE UPON Reonard's TIME

Now is getting "history" I can't help feeling nostalgic.

(2/25)振り返るにふさわしい、人生における愛おしい出来事 とは

2月もまもなく終わり。2月は自分と、他人の立場を考えたり向き合ったりすることに集中した。自分を受け入れて好きになること、気楽に過ごすこと。自分を理想の状態に保つためには、だれかに触れ合い関わることが不可欠だということ。私はこれまで無意識に、特定多数の誰かしらに生かされていたのだろう。こう考えると、自身の昨冬から最近にかけての行いに反省する。恋人もおらず女友達に全く会わず、社内の人たちとも関係希薄な状態を自ら作りにいく行動である。

 

1人でなく、誰かと。

楽しく生きよう、

人間関係を狭めることなく、テリトリーを決めず。

"これまで出逢ってこなかった、避けてきた、興味の浅さを理由に触れてこなかったヒト・モノ" を視野に入れることに対して、ずっと抵抗を持ってきた。

だがここ2ヶ月で、これが全てに当てはまる訳でないと実感した。

試しにやってみたら、自分の好きに合致しちゃって次第にのめり込んでいくこと、は沢山あるんだろう、この世には。

この考え方は、フェルミ大学大全ch で紹介「続ける思考 (井上新八 著)」にも

明記されていた。この事例に関しては長年、どうしても巡り合えなかった私にとって、今後は"自身の実体験"として積極的に、自分そして周囲へ勧め続けたくなる人生の大きな経験となった、ことは驚きだ。

 

人に向き合う時は時間をかけてじっくり知ってゆく。コミュニケーションをとるためには、自分の個性を出すことのみならず、まずは相手に寄り添っていくことが大切だ。

年始に出逢ったある男性は、私がこれまで「苦手だ」としてきた性格やバックグラウンドの持ち主だったと思う。しかし、私は彼に惹かれた。これは無条件だ、と思っていたが、改めて考えると、互いの興味の矛先(海外、ウェルネス) が深く合致していた点が後押ししてくれた。それらは私にとって、弱い条件ではあるが、彼にとっては強い条件として認識され、私に興味を持ってくれたようだ。

当時の私は、限られた情報のなかで彼のバックグラウンドや育ちを必死に想像した結果、私とは少し違う人間だと認識した。

そんな彼に対して、試しに向き合ってみたら。自分を知ることにつながった。彼の人柄と人間性は、私が29年間より沿ったくせして知り得なかった、自身の持つ"真の"性格に、ぴったりであることが分かってしまった。これは、目から鱗だった。

彼を知ることで自分を知るという経験を経て、もっと彼自身を知り、深いところで理解を重ね、続け、彼の人生を認め、受け入れ、称賛し、いつまでも過ごしやすく生きやすく、輝きの増す人生を後押ししてみたかった。応援したくなった。なぜなら、彼はそれに値する人間だと、私が心から感じたいたから。文面のコミュニケーションに留まっていたころから徐々に感じづき、初対面を経て、2度目のデートでそれを確信とした。

彼の人生を、彼のお側で認め受け入れ、常に祝福できるのであれば、私はとても幸せだ。あなたの幸せが私の幸せ、と、感じ続けていけそうだ、いや、間違いなく、この気持ちは途絶えないだろう。さらに私がこれを経て、一緒に成長できるものなら、私も幸せだ。そう思った。

私はこれほど慎重に、ゆっくり、相手に向き合ったのは初めてだったかもしれない。

少しずつ、彼に向き合い寄り添うことで、彼が心を開いてくれた。次第に、愛おしい人間と、変わっていった。こうして彼と縁を繋ぐことができて、私は運が良かった。私は、変わりたくて、行動したのだ。あなたとコンタクトを摂ること、メッセージを継続すること、会うこと、会い続けることを決めたのだ。しかし、当時の私は最悪のコンディションであったから、この縁を縁へ突き動かし向かわせてくれたのは、紛れもなく、彼の根気強さなのだ。

何もうまくいかなくなった私は、泥から抜け出せなくなってしまった。

メンタルはほろほろに崩れ、勤務地近くの駅地下道を歩きながら日々 "私の人生はイージーモード"と、ほらを吹いて常に上昇する筈の自己肯定感は底まで落ちた。

どうしようにも、どうにもできなかった。そんな自分の姿は弱くて醜く映った。頼れる友人はいるはずだ。家族には頼れない、ひどくなるだけだ。こういう時に頼れる誰かというのは必要だと今回本当に強く感じた。

 

思考も停止していた、家族に話すことで、よりどうにもできなくなっていたと思う。

そんな私の力だけでは、今回この恋の成就はきっと成せなかったろう。だから、彼の人柄と根気強さに、感謝したい。

まあ彼はきっと私の当時起こしていた異常やメンタルに、1ミリも気づいていないだろうけれどな。

 

ここ数年の私は、"好き"という言葉と感情を、鎮めていたと思う。

好きだなんて、若い言葉を使いたくないよ、私は長く付き合ったかけがえのない人がいて、好きなんて軽く、意味の薄い言葉を容易く人には向けないよ。それよりも"大切"とか"かけがえない"とか、相手の存在をより良く、深く重んじられる言葉を贈りたいよ、と この言葉で心の表面を覆いバリアーとし、ほかの考え方を一切受け入れてこなかった。頑なに。

 

しかし今となれば 相手に向けられる "好き"という気持ち、実は全行動の核になる程には大切なのではないか。

そもそも"好きだ"と思える相手に巡り合えたこと自体、なんだかこの世に存在するには恐ろしく確率の低い、稀なことであろうし、なんだか私には勿体ないし、何にも代えがたい、素晴らしいことだと思う。

 

母がここ数年よく話していることだが、人を選ぶ時にはどうしても条件が伴う。それは相手に出逢う、知るきっかけになるから必要不可欠。この時点でわたしたちは条件で相手を選ぶ。

出逢って、知る。知ることで、気持ちが動かされ、「この人、好きだな」が生まれる。すると、その人を形成した、条件というものは、もう不要になる。その人が好きであるならば、その人に向ける行動は全て、無条件でおこなわれる。自分にとって負になるようなことがあっても、「でも、あなたのことが好きだから」、行動する。あなたのために。あなたが喜んで、心地よく楽に過ごしてくれるならば、わたしはそれが1番嬉しいよって、きっと思える。そんな相手に出逢いなさいと、母は言った。私はこの数年、このことをずっと、自分に言い聞かせた。

 

ただそんな縁に出会うことはやはり難しく、この人いいかもと感じられる人に出逢っては、知る段階において条件が邪魔をして、好きとう気持ちはやってきてくれなかった。というより自分から掴みに行かなかったかもしれない。長年付き合った、連れ添った愛がある、もう失敗したくなかった。相手を傷つけ、自分の自己肯定感を下げることからひたすら逃げたい気持ちがあった。これをこの数年ずっと繰り返した。なかでも、好きに至らない状態で付き合って、半年間にも満たない期間で別れてしまうのは、相手の方々には、本当に申し訳ことだった。

 

晴れてご縁のある、今お付き合いしているおかたは、これにあてはまらない。私は彼のことが好き。心地よく、過ごしてほしいと願いながら、隣に居られる 愛おしいひと。

今後、関係を紡ぐペースはきっとゆっくりだろう。しかしそのゆっくりな時間すら嬉しく、愛おしい気持ち。彼に出逢うことで私には、もっと大切にすべきとしていたことや、やるべきことが出来た。未来に想いを馳せて、楽しんで、頑張っていこうと思う。

 

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2024年2月につらつらと書いた、気持ちこぼさぬよう大切に書いた文章。

ずっと下書きに保存して、そのままだった。

後半は吉祥寺に住む祖母との空想の会話と、それを受けて恋人に伝えたいことを内容にしたが、量が多いので、別記事にまとめます。

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彼は現在、仕事をするため アメリカに居ます。

2024年の開始早々、出逢い、メッセージを頂き、1か月間会話を続けました。

私のほろほろメンタルにより、彼とのメッセージ習慣を、途中で途絶えさせることがあっても、都度何かが繋ぎとめてくれました。

たとえば ある日の出社時、朝にみずからなんとなく起こした行為、"メッセージリストをやや下までスクロールした"時、彼を見つけ、彼とのメッセージを思い出し、再開することが出来ました。報われたり、将来的に運命を変える出来事になるほんの小さな行為を実感したので、この世に無駄な行動というのはひとつもないのだと、感動しました。

2月上旬に一時帰国し、その後3連休の最終日2/12から4の倍数(16.20.24)と続けて顔を合わせ、関係を少しづつ進めました。ふたりで。相手を置いてきぼりにせず、また私がそうならない様に。自分のなかに抱いた気持ちをしっかり認識するよう努め、こぼさぬように、またいつでも手放せるように(相手へ期待を抱かないという意味を込めて、一方でこれは恐らく良縁だ、という勘を信じて)していました。

ゆっくり慎重に距離を保ちながら、様子を伺い、言葉を選び、会話をしました。

彼が持つ、かつ私達2人の間にある、もろい何かを壊さないよう、大切に接するような気持でした。

彼のアメリカ出張が再度決まってから、この彼の人生は良い方向に導かれているなあと感じつつ、これまでの時間がもし、元々なかったことになるならば、とても寂しくてはかない気持ちになると予想して、暫くの間は涙をこぼしていました。

 

渡米後、期間が延長されてしばらくはSNSで顔を合わせる、連絡を取り合う日々が続きそうです。

でもすこしずつ慣れる感覚があって、彼に対して、自分の気持ちを許す部分が増えました。

昨日(3/24・・(笑))は特にそう感じた。彼は優しい顔して、何も言わず聞く姿勢を持ってくれるから、過去のパートナーシップの話を打ち明けられました。少しだけだけど。

私は自分の得より、彼の得とか、生きやすさとか、過ごしやすさを応援していきたい気持ちを持っています。こんなに頑張って来たのだもの、どうかこれからは、気持ちの抑えや諦め・我慢を念頭に置かないで、自分の育ちや環境に捉われず、はまらないあなたであってほしい、自分の考えや行動を前向きにとらえ、このまま、ありのままの姿で良いのだと、自分を許せるあなたでいてほしい。そんなあなたになれるような時間・空間を贈りたい。そのためにわたしをずっと、あなたのそばに居させてほしい、と、思っています。

 

過去の私はここ数年、だれかに対し、自分の得や不利益ばかりに注目し、気に障っていました。何人にも出逢っては抱く、短命な縁は、私のそんな感情により、まるでフェイクだったかのように数か月で消えてしまう。(デジタルであれば一生残ってしまうが)

 

今の私は。

前回の記事で明記した、母の言葉"自分が心から好きだという気持ちを抱けるひとと、一緒になりなさい"そのものだと、心から感じる。

愛でて大切にしたい。彼の記憶、今の人生、先々の縁すべてを含め、彼そのものを認識したい。

 

これからの楽しみをおぼえつつ、彼をもっと知っていたいと思う。

 

過去の自分が、今の自分を見る時、どう思うのだろうか。

今の自分は今のところ、過去の自分に感謝をしている。

あの時、あの人のもとから離れる決断をする、というシーンは一度でない、何度かあった。そんな行為が報われるのはきっと、あなたに心から感謝をするとき。

この感謝は確実なもので、やっぱり間違っていなかったよねって思えることを祈って、努力して生きていこう。こう改めて思えるような時間を過ごせていること、とてもありがたいと感じます。

 

未来を愉しみに、縁任せにせず努力を続け、気を引き締めて、生きようと思う。