ONCE UPON Reonard's TIME

Now is getting "history" I can't help feeling nostalgic.

決定という行為は、心の安定剤

 

転職しよう。

転職したほうがいいよな、

転職したいな、すべきだよな。

同年代に比べて圧倒的にお給料が少ないこと。

在宅勤務制度が消滅し、毎日、自宅から1h通勤。

如何なる身なり・性格が許されるので、だらしない生活を後押しする環境。

 

今の仕事は業務内容が簡単ですごく気楽に感じること。

自由・休憩時間を多く設けることができること。

休暇は1h単位から終日、長期休暇も好きな時に取得できること。

程よい距離間の人間関係が保たれ、居心地が良いこと。

 

こんな気持ちを常に抱いてきた、おそらく3年程。

在宅勤務制度が完全に無くなったのは1.5年前。

 

ついに自分の選択を終えた、1月末。私の回答は【転職をしない】だった。

きっかけは、同部署同い年の女の子の辞職。地方で生まれ育ち、地元短大を出て10年勤続したこの会社を辞めるのだという。こちら東京では、転職やキャリアチェンジなど、どうってことなく、だれにでも門戸は開かれる。

地方はどうやらそれとは違う。その地方支店はざわついているそうだが、私は彼女の勇気と行動力を称賛する。

 

私はこれを受けて、もっとしっかり、自分の道を生きようと思った。

理由はいろいろあるが、今の会社に留まる決断をし、恐らく結婚やライフプランの変更が【結婚】によって生じない限り、ここで働き続けるだろう。

 

すると、思ってもみないことが起こる。

 

【安定した】のだ。

 

気持ちが、心が、落ち着いた。

自分はここで生きていくんだ、と決定することで

ならもっとここで自分らしさを出していこうとか、悪いよりも良いことをしようとか

笑顔でいよう、楽しくありたい、しっかりしよう、迷惑をかけないように動こう、

 

この数年間、全くの無自覚で気づいていなかったのだが、

おそらく私は、先の見えない、決定できない未来を抱えるがゆえ、

未来に気持ちを馳せることが出来ていなかったのではないか。

持てなかったのは、気持ちだけでない。未来に対する考え、意識、計画までも。

未来と言っても幅は広い。ずっと先のことだけなら未だしも、今週やあす、今日についても、出来ていなかった。

これから私はどうしようか、どっちを、何を選択すべきなのか。

こっちかな、そっちかな、と迷うことで満足して、決定せずにいることで逃げてきた。

そんなことが続くうちに、頭を使うこと習慣が吹っ飛んで、思考が動いていなかった。私は、自分に向き合っていない状態であるのだ。

 

これがどうだ。

【転職をしない】という決定をしただけで、今までよりも、生きることに真剣になった。

今までも真剣なつもりだった。婚活したし、トレーニングしたし、仕事だってした。友人関係は希薄になった。年齢を重ねれば人間関係の構築や相手は変化するという言葉や習慣をうのみにしたからだ。

でも、どれについても、絶対に見直さなかった。基本的に、気の向くままに、または無感情を保ちながら、行動だけやってきた。この時、思考は停止している。だから楽しいとか嬉しい、のような気持ちはなかったと思う。今思えば。感じることもあったと思うが、それは調子が良い時に限っていて、常ではなかったように思う。

気持ちが安定していなかったからだ。不安定だったからだ。いつも満足しない。だからとにかく行動して、動いて、満足する、という錯覚を持たせる。

 

今、やっと自分の人生に向き合えている。

まだ始まったばかりだから この機会をしっかりつかんで離さないでおきたい。

自分は何が好きで、何に惹かれて、だれとどこで生活をして、どんな人生を送りたいのか、本当はどんなことをして生きていたいのか、自分に向き合う時間を創る。