ONCE UPON Reonard's TIME

Now is getting "history" I can't help feeling nostalgic.

初心を抱きしめて生きること。

物事に抱いた初心や、慣れに捉われない純粋な気持ち、を意識的に抱きしめて、生活しようと感じた1日。

行動に対して、目標と目的を抱いた時の自分は、
どんな容姿で、どんな気持ちや原動力を持ったのか

愉しさ・爽快感・最高!という感覚を掴んだ瞬間は、

どんな時だったのか


"好き"を原動力にして行動した結果、

何が出来るようになって、どんなことを思いついて、何を考えながら試行錯誤したのか
私には、私自身が成してきた、いわゆる"努力"を、しっかり深く思い出してほしい
私はここまでよくやってきたと思う。頑張ったんだと思う。
だいたい、私がやっていることに対して"凄いね、頑張ったね" って、讃えたり認めてくれる人って、身近にいない。恋人に言われた記憶もそんなにない。心に残っているのは2021年の春、謙太郎さんっていう、ちょっと関係を持ったひとに、

とにかく、もっと若い頃はいっつもいつも、褒められていた。

勉強ができる、劣等生から優等生へ駆け上がり、勉強が楽しくて仕方がない中高時代。

ちょい経験者ながら拙いギターを弾く私に対し、ほめ延ばす師匠のおかげでギターを愉しんだ私。インスタグラムを巧みに利用し、当時そこまで好きでない料理をさも得意・趣味のように演出し、いいねやコメントはたくさんついた。

私の自己肯定感が昔から高い理由はこれだろう。常に周囲から注目され、同もしく上レベルのひと達から緒言や称賛を貰う日々だったのだ。自分を知らない人間や、ものをよく知らないひとに伝えられても響かない。私は恵まれていたのだ、この縁は自然と寄ってきたものもあれば、サークルに入るとかインスタへ投稿するとか、自ら引き寄せた縁でもあると思う。

ただこの自己肯定感が、ここ数年でずどんと下がりきる現象が生まれる。

これはおそらく、今まで受けてきた、または自らが生み出せていた、褒めや称賛が、

効能をもたらさなくなったから。期限切れだ。

それほど、最近は、だれかに認めてもらえる機会がないのだ。ゼロだと、言ってもいいくらいだ。身近な人は褒めてくれない。共感や受け入れ、ではないのだ。褒めてくれる存在なのだ。私を深く知ろうとする、知ったうえで認める、讃える。この時間がどれだけ素晴らしいかって、私の周囲の人間は知らんのか?特に母と、パートナー関係になった過去のある彼等。称賛し認めることをせずに、付き合っていこうだなんて

一体どういうつもりなのか どういうつもりだったのか

私に対して、失礼じゃないか と 私は過去と比較してしまうのだ


だから、人に褒められるという行為を忘れていた。

でも、思い出してほしいのだ、私は確実に、しっかりと。

自分のために頑張って、ここまで生きてきたのだ

 

私の負と言えば、家族だ。

私は家族3人と、良好な関係ではない。存在が辛いと感じることはしばしばある。直接的にあたるのはもちろんだが、ふとした時に考えることも辛い。どうしても生活の中に入り込んでしまうことがつらい。これは私自身が、自らの力で、生活に家族を置く姿勢があるからなのだが、当たり前なのだが、そんな自分を捨てたいと本気で考えるようになった。理想は兄だ。兄は格好いい。生き方も、考え方も。よくわかっていないけれど、私は兄が好きだ。

 

家族について、歳をとるにつれ、受け入れられる部分は過去に比べると格段に増えたが、それでも常に闇がちらつき、受け入れることはできない。特に、今の母については。今というか、たぶん中学生、、いや小学生の頃からずっと、苦手だ。

どうか母には自分の人生を再構築して、生きてほしいと願うのだ。

どうか外にお友だちや仲間をつくって 私を外へ解放してほしいのだ。

 

そんな負をここ数年で大きく感じてしまうのは、ほかに意識を向けられていない証拠なのかもしれない

--------------------------------------------------

たまたま目にしたYouTubeの投稿。主人公は一般の26歳、図書館に勤める女の子。愛嬌のある、ややぽっちゃり体型の女の子。
序盤のインタビューでは自分について、自信を抱けず、こんな私に好かれる男性について気の毒に思う、とすら話していた。
彼女は自分の変化に出逢うことを決意し、パーソナルジムでボディメイクを開始、スクワットを頑張っていた。
重さなく、何も持たず、ただ体重をお尻に乗せて後ろに下がる、スクワット。
フォームに慣れるまで、コツをつかむまで、へっぴり腰でへんてこなフォームから抜け出せない、
運動未経験者にはハードルの高い種目、スクワット。
彼女は食事の紹介もしており、とある日のランチにお米と鶏肉、お野菜のワンプレートを自炊していた。
これまでの食事習慣は分からないが、自律して、やる気になっているのだろう。
恐らく、この女の子がはじめに、周囲の仲間たちと起こした決意は、少しの運動により後押しされ続け、
生活習慣そのものが整えられていくのであろう。こんな短編であっても、そんな様子が垣間見える。
最終的には、だらんと垂れ下がった顎とお腹、口角、突き出たお尻と反れた腰が、いなくなる。
エストをウエストと名づけられる細さとなり、胸を張っても腰は反らさず、凛とした姿勢と自信のある姿
この子は変わった。変わってみたいという気持ち、努力したいという意志、自信を持ちたいという願いを生み、
周囲の助けを自分のものにして、変わりゆく自分の姿が目新しく、魅了されたのだろう。
自分は努力ができるということ、それにより、自分を変えたということ、そして、変わった自分の姿そのものに。
とっても嬉しそうな女の子は、人間として、輝いて見える。そんな彼女を見て、泣いてしまった。
何故なら彼女は、私が運動を始めた26歳の姿、そのものであるからだ。

私も26歳にを迎えた2020年の、夏からスクワットを始めたのだ。在宅勤務期間中に時間の余裕を生み出して。私はどんどん変わった。身体も顔も。その時までは考えもしなかった、あこがれの髪型にして、洋服を着こなした。マインドも変わり、前向き、上昇。まさに"生まれ変わった"心地になった。

--------------------------------------------------

 

当時の、"ずっとぽっちゃりでもよい、と考えていた私"をこうも突き動かしたのは、【新しい人生】へ進みたいという気持ち。明確ではなかったが、心のどこかで固く決心していたからだと思う。
当時長くお付き合いをしたパートナーから、女性としての関心を持たれず、存在をないがしろにされる感覚があった。
大人として成熟し、暫く観ていない"細い体型の自分"に会いたくて、ダイエット、ボディメイクを始めた。
変わりゆく私の姿に、彼は関心を持たなかった。褒めるどころか話題にもしなかった。私から話しても
別れる話し合いに費やした半年の間には、『関心はあった』『女性として人間として素晴らしい存在だと思ってきた』という言葉を何度も聞いたが、私の気持ちはすっかり離れてしまっていて、心にうまく働いてくれなかった。

 

他の男性を知らない、もっと私のことをしっかり見てくれる男性が、この世の、どこかに存在するのではないか、と

彼と顔を合わせるたび、遠距離ながらも4年間という長い時間をかけて

感じてしまった

 

 

わたしは、自分、彼、そして2人の姿に、向き合った。マイナスな気持ちが比重の殆どを占める話題、問題に対して、積極的に考えようとした。

自分の都合でなく、お互いの人生を、まだ見えもしない未来の姿を、一生懸命に想像して、考えようとしたこと、そのたび悲しい、つらいことを思い出し、また明るくない未来を想像して、何度も泣いて、でも結論に近づけるように向き合って、彼に伝えて、慎重に、やさしく、言葉を探して、選んで、文章を作って、何度この行為を、血を吐きながら、這いつくばりながら、行っただろう。

 

この決断が将来、何年後になってもよいから、正しかったのだと

これで絶対に、良かったのだ と "永遠に"報われてほしい

過去の自分に対し、つらかったね、頑張ったね、でも、本当に偉かったね

よくやった、あなたは私のこと、誇りに思うんだよ と

優しく声をかけて抱きしめてあげられるような、今の私になりたい。

 

 

あの時の私がトレーニングに魅了され、いまもなお続けられているのは、気持ちの根底にその時の記憶があるからかもしれない。

あれからもう丸4年が経とうとする。若かった。幼かった。その後、他人に傷をつけることに抵抗を持たず、自己都合で過ごすことに慣れてしまった期間もあった。

これでは小学校、中高大学時代の私に胸ははれないぞ、と 私が本当に過ごしやすく、好んでなにかを与え、動ける対象に出逢い、関係を作り、大切な言葉を紡ぎたいと考えるようになった。今のパートナーに出逢ってから。

私は当時、頑張ったのだと、これからも胸を張って生きていきたい。

私を変えてくれた、運動習慣、トレーニングという行為には、

一生付き合っていきたい。

周囲の力とモチベーションを巻き込んで、孤独でなく、一緒に愉しんでいければいいのかな。