ONCE UPON Reonard's TIME

Now is getting "history" I can't help feeling nostalgic.

(2/25)振り返るにふさわしい、人生における愛おしい出来事 とは

2月もまもなく終わり。2月は自分と、他人の立場を考えたり向き合ったりすることに集中した。自分を受け入れて好きになること、気楽に過ごすこと。自分を理想の状態に保つためには、だれかに触れ合い関わることが不可欠だということ。私はこれまで無意識に、特定多数の誰かしらに生かされていたのだろう。こう考えると、自身の昨冬から最近にかけての行いに反省する。恋人もおらず女友達に全く会わず、社内の人たちとも関係希薄な状態を自ら作りにいく行動である。

 

1人でなく、誰かと。

楽しく生きよう、

人間関係を狭めることなく、テリトリーを決めず。

"これまで出逢ってこなかった、避けてきた、興味の浅さを理由に触れてこなかったヒト・モノ" を視野に入れることに対して、ずっと抵抗を持ってきた。

だがここ2ヶ月で、これが全てに当てはまる訳でないと実感した。

試しにやってみたら、自分の好きに合致しちゃって次第にのめり込んでいくこと、は沢山あるんだろう、この世には。

この考え方は、フェルミ大学大全ch で紹介「続ける思考 (井上新八 著)」にも

明記されていた。この事例に関しては長年、どうしても巡り合えなかった私にとって、今後は"自身の実体験"として積極的に、自分そして周囲へ勧め続けたくなる人生の大きな経験となった、ことは驚きだ。

 

人に向き合う時は時間をかけてじっくり知ってゆく。コミュニケーションをとるためには、自分の個性を出すことのみならず、まずは相手に寄り添っていくことが大切だ。

年始に出逢ったある男性は、私がこれまで「苦手だ」としてきた性格やバックグラウンドの持ち主だったと思う。しかし、私は彼に惹かれた。これは無条件だ、と思っていたが、改めて考えると、互いの興味の矛先(海外、ウェルネス) が深く合致していた点が後押ししてくれた。それらは私にとって、弱い条件ではあるが、彼にとっては強い条件として認識され、私に興味を持ってくれたようだ。

当時の私は、限られた情報のなかで彼のバックグラウンドや育ちを必死に想像した結果、私とは少し違う人間だと認識した。

そんな彼に対して、試しに向き合ってみたら。自分を知ることにつながった。彼の人柄と人間性は、私が29年間より沿ったくせして知り得なかった、自身の持つ"真の"性格に、ぴったりであることが分かってしまった。これは、目から鱗だった。

彼を知ることで自分を知るという経験を経て、もっと彼自身を知り、深いところで理解を重ね、続け、彼の人生を認め、受け入れ、称賛し、いつまでも過ごしやすく生きやすく、輝きの増す人生を後押ししてみたかった。応援したくなった。なぜなら、彼はそれに値する人間だと、私が心から感じたいたから。文面のコミュニケーションに留まっていたころから徐々に感じづき、初対面を経て、2度目のデートでそれを確信とした。

彼の人生を、彼のお側で認め受け入れ、常に祝福できるのであれば、私はとても幸せだ。あなたの幸せが私の幸せ、と、感じ続けていけそうだ、いや、間違いなく、この気持ちは途絶えないだろう。さらに私がこれを経て、一緒に成長できるものなら、私も幸せだ。そう思った。

私はこれほど慎重に、ゆっくり、相手に向き合ったのは初めてだったかもしれない。

少しずつ、彼に向き合い寄り添うことで、彼が心を開いてくれた。次第に、愛おしい人間と、変わっていった。こうして彼と縁を繋ぐことができて、私は運が良かった。私は、変わりたくて、行動したのだ。あなたとコンタクトを摂ること、メッセージを継続すること、会うこと、会い続けることを決めたのだ。しかし、当時の私は最悪のコンディションであったから、この縁を縁へ突き動かし向かわせてくれたのは、紛れもなく、彼の根気強さなのだ。

何もうまくいかなくなった私は、泥から抜け出せなくなってしまった。

メンタルはほろほろに崩れ、勤務地近くの駅地下道を歩きながら日々 "私の人生はイージーモード"と、ほらを吹いて常に上昇する筈の自己肯定感は底まで落ちた。

どうしようにも、どうにもできなかった。そんな自分の姿は弱くて醜く映った。頼れる友人はいるはずだ。家族には頼れない、ひどくなるだけだ。こういう時に頼れる誰かというのは必要だと今回本当に強く感じた。

 

思考も停止していた、家族に話すことで、よりどうにもできなくなっていたと思う。

そんな私の力だけでは、今回この恋の成就はきっと成せなかったろう。だから、彼の人柄と根気強さに、感謝したい。

まあ彼はきっと私の当時起こしていた異常やメンタルに、1ミリも気づいていないだろうけれどな。

 

ここ数年の私は、"好き"という言葉と感情を、鎮めていたと思う。

好きだなんて、若い言葉を使いたくないよ、私は長く付き合ったかけがえのない人がいて、好きなんて軽く、意味の薄い言葉を容易く人には向けないよ。それよりも"大切"とか"かけがえない"とか、相手の存在をより良く、深く重んじられる言葉を贈りたいよ、と この言葉で心の表面を覆いバリアーとし、ほかの考え方を一切受け入れてこなかった。頑なに。

 

しかし今となれば 相手に向けられる "好き"という気持ち、実は全行動の核になる程には大切なのではないか。

そもそも"好きだ"と思える相手に巡り合えたこと自体、なんだかこの世に存在するには恐ろしく確率の低い、稀なことであろうし、なんだか私には勿体ないし、何にも代えがたい、素晴らしいことだと思う。

 

母がここ数年よく話していることだが、人を選ぶ時にはどうしても条件が伴う。それは相手に出逢う、知るきっかけになるから必要不可欠。この時点でわたしたちは条件で相手を選ぶ。

出逢って、知る。知ることで、気持ちが動かされ、「この人、好きだな」が生まれる。すると、その人を形成した、条件というものは、もう不要になる。その人が好きであるならば、その人に向ける行動は全て、無条件でおこなわれる。自分にとって負になるようなことがあっても、「でも、あなたのことが好きだから」、行動する。あなたのために。あなたが喜んで、心地よく楽に過ごしてくれるならば、わたしはそれが1番嬉しいよって、きっと思える。そんな相手に出逢いなさいと、母は言った。私はこの数年、このことをずっと、自分に言い聞かせた。

 

ただそんな縁に出会うことはやはり難しく、この人いいかもと感じられる人に出逢っては、知る段階において条件が邪魔をして、好きとう気持ちはやってきてくれなかった。というより自分から掴みに行かなかったかもしれない。長年付き合った、連れ添った愛がある、もう失敗したくなかった。相手を傷つけ、自分の自己肯定感を下げることからひたすら逃げたい気持ちがあった。これをこの数年ずっと繰り返した。なかでも、好きに至らない状態で付き合って、半年間にも満たない期間で別れてしまうのは、相手の方々には、本当に申し訳ことだった。

 

晴れてご縁のある、今お付き合いしているおかたは、これにあてはまらない。私は彼のことが好き。心地よく、過ごしてほしいと願いながら、隣に居られる 愛おしいひと。

今後、関係を紡ぐペースはきっとゆっくりだろう。しかしそのゆっくりな時間すら嬉しく、愛おしい気持ち。彼に出逢うことで私には、もっと大切にすべきとしていたことや、やるべきことが出来た。未来に想いを馳せて、楽しんで、頑張っていこうと思う。

 

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2024年2月につらつらと書いた、気持ちこぼさぬよう大切に書いた文章。

ずっと下書きに保存して、そのままだった。

後半は吉祥寺に住む祖母との空想の会話と、それを受けて恋人に伝えたいことを内容にしたが、量が多いので、別記事にまとめます。

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彼は現在、仕事をするため アメリカに居ます。

2024年の開始早々、出逢い、メッセージを頂き、1か月間会話を続けました。

私のほろほろメンタルにより、彼とのメッセージ習慣を、途中で途絶えさせることがあっても、都度何かが繋ぎとめてくれました。

たとえば ある日の出社時、朝にみずからなんとなく起こした行為、"メッセージリストをやや下までスクロールした"時、彼を見つけ、彼とのメッセージを思い出し、再開することが出来ました。報われたり、将来的に運命を変える出来事になるほんの小さな行為を実感したので、この世に無駄な行動というのはひとつもないのだと、感動しました。

2月上旬に一時帰国し、その後3連休の最終日2/12から4の倍数(16.20.24)と続けて顔を合わせ、関係を少しづつ進めました。ふたりで。相手を置いてきぼりにせず、また私がそうならない様に。自分のなかに抱いた気持ちをしっかり認識するよう努め、こぼさぬように、またいつでも手放せるように(相手へ期待を抱かないという意味を込めて、一方でこれは恐らく良縁だ、という勘を信じて)していました。

ゆっくり慎重に距離を保ちながら、様子を伺い、言葉を選び、会話をしました。

彼が持つ、かつ私達2人の間にある、もろい何かを壊さないよう、大切に接するような気持でした。

彼のアメリカ出張が再度決まってから、この彼の人生は良い方向に導かれているなあと感じつつ、これまでの時間がもし、元々なかったことになるならば、とても寂しくてはかない気持ちになると予想して、暫くの間は涙をこぼしていました。

 

渡米後、期間が延長されてしばらくはSNSで顔を合わせる、連絡を取り合う日々が続きそうです。

でもすこしずつ慣れる感覚があって、彼に対して、自分の気持ちを許す部分が増えました。

昨日(3/24・・(笑))は特にそう感じた。彼は優しい顔して、何も言わず聞く姿勢を持ってくれるから、過去のパートナーシップの話を打ち明けられました。少しだけだけど。

私は自分の得より、彼の得とか、生きやすさとか、過ごしやすさを応援していきたい気持ちを持っています。こんなに頑張って来たのだもの、どうかこれからは、気持ちの抑えや諦め・我慢を念頭に置かないで、自分の育ちや環境に捉われず、はまらないあなたであってほしい、自分の考えや行動を前向きにとらえ、このまま、ありのままの姿で良いのだと、自分を許せるあなたでいてほしい。そんなあなたになれるような時間・空間を贈りたい。そのためにわたしをずっと、あなたのそばに居させてほしい、と、思っています。

 

過去の私はここ数年、だれかに対し、自分の得や不利益ばかりに注目し、気に障っていました。何人にも出逢っては抱く、短命な縁は、私のそんな感情により、まるでフェイクだったかのように数か月で消えてしまう。(デジタルであれば一生残ってしまうが)

 

今の私は。

前回の記事で明記した、母の言葉"自分が心から好きだという気持ちを抱けるひとと、一緒になりなさい"そのものだと、心から感じる。

愛でて大切にしたい。彼の記憶、今の人生、先々の縁すべてを含め、彼そのものを認識したい。

 

これからの楽しみをおぼえつつ、彼をもっと知っていたいと思う。

 

過去の自分が、今の自分を見る時、どう思うのだろうか。

今の自分は今のところ、過去の自分に感謝をしている。

あの時、あの人のもとから離れる決断をする、というシーンは一度でない、何度かあった。そんな行為が報われるのはきっと、あなたに心から感謝をするとき。

この感謝は確実なもので、やっぱり間違っていなかったよねって思えることを祈って、努力して生きていこう。こう改めて思えるような時間を過ごせていること、とてもありがたいと感じます。

 

未来を愉しみに、縁任せにせず努力を続け、気を引き締めて、生きようと思う。

初心を抱きしめて生きること。

物事に抱いた初心や、慣れに捉われない純粋な気持ち、を意識的に抱きしめて、生活しようと感じた1日。

行動に対して、目標と目的を抱いた時の自分は、
どんな容姿で、どんな気持ちや原動力を持ったのか

愉しさ・爽快感・最高!という感覚を掴んだ瞬間は、

どんな時だったのか


"好き"を原動力にして行動した結果、

何が出来るようになって、どんなことを思いついて、何を考えながら試行錯誤したのか
私には、私自身が成してきた、いわゆる"努力"を、しっかり深く思い出してほしい
私はここまでよくやってきたと思う。頑張ったんだと思う。
だいたい、私がやっていることに対して"凄いね、頑張ったね" って、讃えたり認めてくれる人って、身近にいない。恋人に言われた記憶もそんなにない。心に残っているのは2021年の春、謙太郎さんっていう、ちょっと関係を持ったひとに、

とにかく、もっと若い頃はいっつもいつも、褒められていた。

勉強ができる、劣等生から優等生へ駆け上がり、勉強が楽しくて仕方がない中高時代。

ちょい経験者ながら拙いギターを弾く私に対し、ほめ延ばす師匠のおかげでギターを愉しんだ私。インスタグラムを巧みに利用し、当時そこまで好きでない料理をさも得意・趣味のように演出し、いいねやコメントはたくさんついた。

私の自己肯定感が昔から高い理由はこれだろう。常に周囲から注目され、同もしく上レベルのひと達から緒言や称賛を貰う日々だったのだ。自分を知らない人間や、ものをよく知らないひとに伝えられても響かない。私は恵まれていたのだ、この縁は自然と寄ってきたものもあれば、サークルに入るとかインスタへ投稿するとか、自ら引き寄せた縁でもあると思う。

ただこの自己肯定感が、ここ数年でずどんと下がりきる現象が生まれる。

これはおそらく、今まで受けてきた、または自らが生み出せていた、褒めや称賛が、

効能をもたらさなくなったから。期限切れだ。

それほど、最近は、だれかに認めてもらえる機会がないのだ。ゼロだと、言ってもいいくらいだ。身近な人は褒めてくれない。共感や受け入れ、ではないのだ。褒めてくれる存在なのだ。私を深く知ろうとする、知ったうえで認める、讃える。この時間がどれだけ素晴らしいかって、私の周囲の人間は知らんのか?特に母と、パートナー関係になった過去のある彼等。称賛し認めることをせずに、付き合っていこうだなんて

一体どういうつもりなのか どういうつもりだったのか

私に対して、失礼じゃないか と 私は過去と比較してしまうのだ


だから、人に褒められるという行為を忘れていた。

でも、思い出してほしいのだ、私は確実に、しっかりと。

自分のために頑張って、ここまで生きてきたのだ

 

私の負と言えば、家族だ。

私は家族3人と、良好な関係ではない。存在が辛いと感じることはしばしばある。直接的にあたるのはもちろんだが、ふとした時に考えることも辛い。どうしても生活の中に入り込んでしまうことがつらい。これは私自身が、自らの力で、生活に家族を置く姿勢があるからなのだが、当たり前なのだが、そんな自分を捨てたいと本気で考えるようになった。理想は兄だ。兄は格好いい。生き方も、考え方も。よくわかっていないけれど、私は兄が好きだ。

 

家族について、歳をとるにつれ、受け入れられる部分は過去に比べると格段に増えたが、それでも常に闇がちらつき、受け入れることはできない。特に、今の母については。今というか、たぶん中学生、、いや小学生の頃からずっと、苦手だ。

どうか母には自分の人生を再構築して、生きてほしいと願うのだ。

どうか外にお友だちや仲間をつくって 私を外へ解放してほしいのだ。

 

そんな負をここ数年で大きく感じてしまうのは、ほかに意識を向けられていない証拠なのかもしれない

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たまたま目にしたYouTubeの投稿。主人公は一般の26歳、図書館に勤める女の子。愛嬌のある、ややぽっちゃり体型の女の子。
序盤のインタビューでは自分について、自信を抱けず、こんな私に好かれる男性について気の毒に思う、とすら話していた。
彼女は自分の変化に出逢うことを決意し、パーソナルジムでボディメイクを開始、スクワットを頑張っていた。
重さなく、何も持たず、ただ体重をお尻に乗せて後ろに下がる、スクワット。
フォームに慣れるまで、コツをつかむまで、へっぴり腰でへんてこなフォームから抜け出せない、
運動未経験者にはハードルの高い種目、スクワット。
彼女は食事の紹介もしており、とある日のランチにお米と鶏肉、お野菜のワンプレートを自炊していた。
これまでの食事習慣は分からないが、自律して、やる気になっているのだろう。
恐らく、この女の子がはじめに、周囲の仲間たちと起こした決意は、少しの運動により後押しされ続け、
生活習慣そのものが整えられていくのであろう。こんな短編であっても、そんな様子が垣間見える。
最終的には、だらんと垂れ下がった顎とお腹、口角、突き出たお尻と反れた腰が、いなくなる。
エストをウエストと名づけられる細さとなり、胸を張っても腰は反らさず、凛とした姿勢と自信のある姿
この子は変わった。変わってみたいという気持ち、努力したいという意志、自信を持ちたいという願いを生み、
周囲の助けを自分のものにして、変わりゆく自分の姿が目新しく、魅了されたのだろう。
自分は努力ができるということ、それにより、自分を変えたということ、そして、変わった自分の姿そのものに。
とっても嬉しそうな女の子は、人間として、輝いて見える。そんな彼女を見て、泣いてしまった。
何故なら彼女は、私が運動を始めた26歳の姿、そのものであるからだ。

私も26歳にを迎えた2020年の、夏からスクワットを始めたのだ。在宅勤務期間中に時間の余裕を生み出して。私はどんどん変わった。身体も顔も。その時までは考えもしなかった、あこがれの髪型にして、洋服を着こなした。マインドも変わり、前向き、上昇。まさに"生まれ変わった"心地になった。

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当時の、"ずっとぽっちゃりでもよい、と考えていた私"をこうも突き動かしたのは、【新しい人生】へ進みたいという気持ち。明確ではなかったが、心のどこかで固く決心していたからだと思う。
当時長くお付き合いをしたパートナーから、女性としての関心を持たれず、存在をないがしろにされる感覚があった。
大人として成熟し、暫く観ていない"細い体型の自分"に会いたくて、ダイエット、ボディメイクを始めた。
変わりゆく私の姿に、彼は関心を持たなかった。褒めるどころか話題にもしなかった。私から話しても
別れる話し合いに費やした半年の間には、『関心はあった』『女性として人間として素晴らしい存在だと思ってきた』という言葉を何度も聞いたが、私の気持ちはすっかり離れてしまっていて、心にうまく働いてくれなかった。

 

他の男性を知らない、もっと私のことをしっかり見てくれる男性が、この世の、どこかに存在するのではないか、と

彼と顔を合わせるたび、遠距離ながらも4年間という長い時間をかけて

感じてしまった

 

 

わたしは、自分、彼、そして2人の姿に、向き合った。マイナスな気持ちが比重の殆どを占める話題、問題に対して、積極的に考えようとした。

自分の都合でなく、お互いの人生を、まだ見えもしない未来の姿を、一生懸命に想像して、考えようとしたこと、そのたび悲しい、つらいことを思い出し、また明るくない未来を想像して、何度も泣いて、でも結論に近づけるように向き合って、彼に伝えて、慎重に、やさしく、言葉を探して、選んで、文章を作って、何度この行為を、血を吐きながら、這いつくばりながら、行っただろう。

 

この決断が将来、何年後になってもよいから、正しかったのだと

これで絶対に、良かったのだ と "永遠に"報われてほしい

過去の自分に対し、つらかったね、頑張ったね、でも、本当に偉かったね

よくやった、あなたは私のこと、誇りに思うんだよ と

優しく声をかけて抱きしめてあげられるような、今の私になりたい。

 

 

あの時の私がトレーニングに魅了され、いまもなお続けられているのは、気持ちの根底にその時の記憶があるからかもしれない。

あれからもう丸4年が経とうとする。若かった。幼かった。その後、他人に傷をつけることに抵抗を持たず、自己都合で過ごすことに慣れてしまった期間もあった。

これでは小学校、中高大学時代の私に胸ははれないぞ、と 私が本当に過ごしやすく、好んでなにかを与え、動ける対象に出逢い、関係を作り、大切な言葉を紡ぎたいと考えるようになった。今のパートナーに出逢ってから。

私は当時、頑張ったのだと、これからも胸を張って生きていきたい。

私を変えてくれた、運動習慣、トレーニングという行為には、

一生付き合っていきたい。

周囲の力とモチベーションを巻き込んで、孤独でなく、一緒に愉しんでいければいいのかな。

 

自分のいちばんの親友は、自分である

【2024/2/14に書いた記事】

 

最近読んだ本から得た考え方、
友人にラインで語る時にまとめた自身の考えと気づき、
ここ数日過ごして抱いた感情と浮かんだアイディア。

ここに書き留めておきたいことが増えてしまったな、3日分くらいだろう。古い順に書いていくと、終わりが見えないぞ。さて、どうしたものか。。

そんな考えは、こんにち、4月中旬並みの暖かさを記録するバレンタインの、春のような南風に乗って、吹っ飛んでくれた。

全ての考え方が繋がって、うまくまとめられそうだ。
今まで抱いてこなかった、浮かばなかったような、"新たな考え"を得た際は、どこかでアウトプットすることが必要なんだと実感した。勉強によって得た知識、や行動によって得た経験、うをわがものにするとき、実践しトライエラーを繰り返すことが必要だと思う。考えというものも、どうやらこれに該当するようだ。


ここでいう実践=対人の会話、トライエラー="相手の反応"に、あてはまると思う。

今回の実践は、22歳からの親友、男友達とのLINE。
あと、その1日前に果たした、マッチングアプリで知り合い初対面を果たした男性との甘味処でのおしゃべり。

誰かとLINEで語ること、まず自ら、穏やかな雰囲気をつくる。その場の雰囲気に任せてはいけない。自分で生み出していく。
そして、ゆっくりと相手に向き合う。

そのうえで、
LINEであれば、画面先の相手の心情を想像しながら、丁寧な口調で語ること。
対面であれば、相手をよく観察しながら、寄り添った状態で、話し合ったり、しゃべること。

対面であれば相手の様子・反応をうかがいながら軌道修正し、
自分の考えの正誤(相手の抱く解答)を知ることができる。
でも決して、相手にとらわれることで自分の心が置いてけぼり、遠い存在にならない様に
LINEで語る時のように、自分自身にも寄り添い続けることは、重要である。

ここ数か月、12月の終わりからずっと、ひとりだった。友人に会ったりせず過ごしている。
1月から、男親友とのLINEを控えてみたが、これに、あらゆるトラブルが相まって(マッチングアプリの進捗が悪い、気温が低く寒い、FEEL〇YCLEに無酸素運動の要素がなくただ痩せる(無酸素が好きなので…)→運動モチベゼロ、田舎の生娘(同僚)が、仕事を辞める)、どんどん心が崩れて、過食時期がこんなに長引くなんて。想像もしていなかったな。
さらに、私はこのことを相談できる友人っていないのか、と落ち込んだし、母は受け入れているようでそうではないし(少なくとも娘はそう思い続ける)、父は良い人だけれど、きっとこの先も親という感じではないし…頼れる人がいないというのはこんなにも精神的な負担になるんだなと、今回初めて感じた。
今まで頼れる人、心を支えてくれる一番のひとは、いつも恋人だった。全員ではないが・・・(笑)

 

こう数えると2か月ちょっとだけなのか。
2023年マッチングアプリで知り合って、何度も会う人がいたけれど、
最終的に、お顔に対する違和感をどうしてもぬぐい切れなくて、クリスマスのディズニーデートを断ってしまったのだな。。
大好きな女の友人に会ったのは11月が最後。その後、ご無沙汰だな。
もっと定期的に会っていこうって思うようになった。
だれかに話すことって、大事なんだ。特に長文を書ける相手がいること、受け止めてくれる相手がいること。

また、相手の話をじっくり聞くことも大事だ。そうして会話する時間こそ、有益とか価値のある、というよりはたんにわたしが本来好きな行為なのだ。


こんな相手は貴重だと思う。ずっとしっかり寄り添っていきたい。
私は、相手をあてがうこと、さらに、彼らにしっかり向き合い、寄り添うこと。関係を紡いでいくことが必要だ。

私がこの先、新たな人生を創るにあたり、心に留めたいことは
" 自分にとって一番の親友は、自分である 。だから、自分を常に解ってあげようとして、生きてほしい。"

わかってあげること。
それは弱い部分に対して"甘やかす"のではない。
さらに強い部分に対して"過信する"のでもない。
自分の弱い・強いところを知っている、ということをまず認める。さらにその弱・強点そのものを認めて、自分の個性を保つように生きること。つまり、なにどきも、"無理をしない"こと。


常に"がんばる”ことをすると、ここぞというときに、がんばるキャパが残っていないことがある。

しかし一方で"がんばる"癖を長く、それなりのハードルで保つことで、ここぞというときに、スッと受け入れ戦うことができる。自分の自律心、自尊心を育てることができる。

例えば、私の場合、運動が当てはまる。
弱点は、実行する時間帯を朝や昼前に設定したいので、夜に設定することに抵抗を抱いてしまう。
(仕事終わり直後とか、面倒な待ち時間がない、食事管理を必要とせず、スッとできるならばよい。)

強点は、好きな時に好きなようにしようと思えばできる。同じような種目を、一人で管理して、毎日のように続けられる。自己管理力。(継続や管理については、モチベーションに頼ってしまっている部分がある。これはよくないそうだ。まずは小さな習慣を根本に置くことが重要だと本要約チャンネルで聞いた)

 


弱点に触れたり、強点のレベルを上げすぎると、大きなストレスとなり、危険。
結果、弱点があらわになる日は、ワークアウト前後に食べ過ぎたり、集中力の欠けた状態でレッスンを受けることがある。
また、強点があらわになる日は、突然飽きたり疲れたりして、暫く運動を止めてしまったりする。うつ病らしい症状で摂食障害が飽きる。

 

今後はじぶん、わたしという人間を抱きしめるように生きたい。

ここ数年忘れてしまっている感覚を戻し、さらに更新し、セルフラブに溢れた生活を生み、保ちたい。自分に向けるそんな気持ちを、いつか出逢えるに違いなく、大切でどうしようもない、そんな存在になる人に対しても、向けたい。そのために今から準備し練習していたい。

過去と決別、習慣を作ること

寝るべき時刻、スマホを開け、Instagramのストーリーを眺める。

中島みゆきさんの、何時かは不明なラジオに寄せられたリスナーからの手紙内容を聞いた。

 

私は誰が見たってブスでいつもいじめられる、受験する高校には嫌いな男子がいると思うと、勉強が捗らない。こんな自分がイヤになる。でも、こんな私でもいつの日か、きっといいことありますよね。そんな日を夢見て、頑張ろうと思います。あなたのコンサートに向くときは、今と違った自分になれていれば、良いな。

 

きっと勇気を振り絞って書いたんだろう

未来が見えない女の子。今の私と同じ。

 

「いつの日か」を夢見て、頑張ろうと思います、

と思えるほどの、「"夢"と思えるような"いつの日"」を考えてみるのはどうだろう。

私の思う、未来に馳せる希望や、想像って何だろう。

と、夜寝る前に考えてみた。

また沢山食べてしまった夜。

ほぼクリーンなものなので、翌朝(いま)お腹が空いているとはいえ、良くないな、と思いつつ…


今思い浮かぶのは、まず

どうしようとなく大切にしたい、幸せになってほしい、と思える、大好きな人が存在して、

その人にもっと幸せになってもらうため、喜んでもらうため、人生を充実させるために、おそばに居る、

ということ。

私はその人のことを、隣で応援して、認めて、励まして、どうか幸せになってくださいと、願って、その人のために日々を生きる。

そんな気持ちを向けられるような、かけがえない人が存在するということ。

そして、その人と結ばれること。一生を創ること。

 

これがきっと、私の"いつの日"であり、夢。
これでは相手ありきで、相手本位の人生ではないか、と思われるかもしれない。

しかし私にとっては、そうではない。

あくまで相手は私のガソリン。14歳の夏、ジャニーズに魅せられて、「彼が頑張っているなら、私も」という気持ちを抱き、以降3年もの間、勉強に勤しんだ。当時のきっかけとモチベーションは、彼らという相手ありきだが、次第に自分の中に目標と達成感を生み出して、3年も続けられた。

中学2年生の夏休み。summaryに向いた8/6、あの日から、家で過ごしながらぼーっといろんなことを考えた、あの時間や空間は今でもしっかり覚えられている。部活もなく、暇だったんだろう。時間はあった。宿題というタスクもあった。ハワイ旅行というイベントもあった。当時の基礎英語の舞台がハワイだったことも大きいのかな。

私が勉強に対して、無関心の状態からあれだけ夢中になった仕組みを、近々きちんと検証したい。

自分の意志で邁進し、登り詰め、自分を誇りに思って生きた経験は、あの時くらいだ。

もう15年も前だが、一度できたのであれば、また出来るのではと、今考えてみた。徹底した自己管理、やる気、何より習慣として毎日やるという能力と思考を持っていた。

直近だと、昨秋まで、トレーニングや運動に関しては近いものを抱いていた。違う点は、それを発揮したり、認められる機会や場が無い、ということ。意識的なトライアンドエラーをすることもなく、長年、思考停止の状態を続けていたと

振り返る。

 

常に頭脳を使い、指先を動かす

そんな習慣を1つから、始めるべきだ

そのときは必ず時間を決めて。20分や30分で良いのだ。永遠であっては、集中力の存在を忘れてしまう。

 

今の生活は食べることに固執しすぎている。メンタル的に良くないのはもちろんだが、これでは糖尿病や生活習慣病が常に身近にいる人生に変わってしまう。しかも、きっと、一生。

 

過去の出来事を振り返るのは、時によって、気持ちの無駄遣いになってしまう。

反省し次に活かす、そうしてより良い人生を作るべき、と前回の記事に書いてみたが、そうしないほうが良いパターンもある。

 

過去は、現在とは決別しても良いものである。

過去に辛いことがあった、けれどいま、幸せに生きている、そんな人がいるらしい。そう思うだけで気持ちがうんと楽になるし、自分もそうなれるのかも、そうありたい、そうなろう、と考えることができるのだ 

今読んでいる本に書いてあった。

 

今の私は、こうだ

中学2年生の私としての経験は無意識に決別の対象として

昔から今の家庭環境や、長く付き合った恋人を自分の軽く勝手な判断で置いていったこと、深く傷つけた経験 は、"おそらく意識的" に、今の人生を覆うように、重要な位置付けをして置いている。

 

私は今を生きていないのかもしれない

呪いのような、昔の後悔と苦しみ。

これらを意識的に抱いて、懺悔することで、自分の過ちや寂しさを受け入れようとしているのかもしれない。まだ受け入れきれていないから、いつまでもそばにおいて、たまに懺悔し受け入れを試みても、それをしきれないから、何年も続けてしまっているのかもしれない

 

なんど懺悔し涙を流したか 数えきれない

 

もう自分と周りを許してあげて、自分を苦しみから解放してあげよう。

 

そして生活を前向きな方向へ、戻していこう。

 

振り返りは、無意識に行う程度で良いのだ。

その他が必要な振り返りが頭に浮かぶはずだから。

 

今日は朝5:50 起床、

お弁当を作りそばを茹で、

あさ30分の脚トレーニングをした。楽しかった。

毎朝20分の運動を続けようと思っている。効果がどうこう、ではなく、習慣にすることを目標にする。朝の運動はやはり気持ちが良いし、達成感は大きい。

 

このブログを書くことも朝の通勤時間にできた。すっきりした。もうすぐ会社の最寄駅に着く。

 

今日はずっとマッチングアプリでやり取りをしてくれている同い年の男性が、2ヶ月間のアメリカ出張を終え、日本に帰国する日。あと3.4時間程か。

母の会社の同僚は昨夜ハワイへ飛び立ったらしい。あー羨ましいね。

 

またハワイ行こうね、お母さん。

今度は全額出して、連れて行くからね。

 

 

 

 

決定という行為は、心の安定剤

 

転職しよう。

転職したほうがいいよな、

転職したいな、すべきだよな。

同年代に比べて圧倒的にお給料が少ないこと。

在宅勤務制度が消滅し、毎日、自宅から1h通勤。

如何なる身なり・性格が許されるので、だらしない生活を後押しする環境。

 

今の仕事は業務内容が簡単ですごく気楽に感じること。

自由・休憩時間を多く設けることができること。

休暇は1h単位から終日、長期休暇も好きな時に取得できること。

程よい距離間の人間関係が保たれ、居心地が良いこと。

 

こんな気持ちを常に抱いてきた、おそらく3年程。

在宅勤務制度が完全に無くなったのは1.5年前。

 

ついに自分の選択を終えた、1月末。私の回答は【転職をしない】だった。

きっかけは、同部署同い年の女の子の辞職。地方で生まれ育ち、地元短大を出て10年勤続したこの会社を辞めるのだという。こちら東京では、転職やキャリアチェンジなど、どうってことなく、だれにでも門戸は開かれる。

地方はどうやらそれとは違う。その地方支店はざわついているそうだが、私は彼女の勇気と行動力を称賛する。

 

私はこれを受けて、もっとしっかり、自分の道を生きようと思った。

理由はいろいろあるが、今の会社に留まる決断をし、恐らく結婚やライフプランの変更が【結婚】によって生じない限り、ここで働き続けるだろう。

 

すると、思ってもみないことが起こる。

 

【安定した】のだ。

 

気持ちが、心が、落ち着いた。

自分はここで生きていくんだ、と決定することで

ならもっとここで自分らしさを出していこうとか、悪いよりも良いことをしようとか

笑顔でいよう、楽しくありたい、しっかりしよう、迷惑をかけないように動こう、

 

この数年間、全くの無自覚で気づいていなかったのだが、

おそらく私は、先の見えない、決定できない未来を抱えるがゆえ、

未来に気持ちを馳せることが出来ていなかったのではないか。

持てなかったのは、気持ちだけでない。未来に対する考え、意識、計画までも。

未来と言っても幅は広い。ずっと先のことだけなら未だしも、今週やあす、今日についても、出来ていなかった。

これから私はどうしようか、どっちを、何を選択すべきなのか。

こっちかな、そっちかな、と迷うことで満足して、決定せずにいることで逃げてきた。

そんなことが続くうちに、頭を使うこと習慣が吹っ飛んで、思考が動いていなかった。私は、自分に向き合っていない状態であるのだ。

 

これがどうだ。

【転職をしない】という決定をしただけで、今までよりも、生きることに真剣になった。

今までも真剣なつもりだった。婚活したし、トレーニングしたし、仕事だってした。友人関係は希薄になった。年齢を重ねれば人間関係の構築や相手は変化するという言葉や習慣をうのみにしたからだ。

でも、どれについても、絶対に見直さなかった。基本的に、気の向くままに、または無感情を保ちながら、行動だけやってきた。この時、思考は停止している。だから楽しいとか嬉しい、のような気持ちはなかったと思う。今思えば。感じることもあったと思うが、それは調子が良い時に限っていて、常ではなかったように思う。

気持ちが安定していなかったからだ。不安定だったからだ。いつも満足しない。だからとにかく行動して、動いて、満足する、という錯覚を持たせる。

 

今、やっと自分の人生に向き合えている。

まだ始まったばかりだから この機会をしっかりつかんで離さないでおきたい。

自分は何が好きで、何に惹かれて、だれとどこで生活をして、どんな人生を送りたいのか、本当はどんなことをして生きていたいのか、自分に向き合う時間を創る。

 

"失敗"の意味。

自分が失敗したなと感じる瞬間、よくある。

そんな時は反省して、学ぶということが、自分の納得いく人生、未来を創ることにつながるのであろう。

 

ボディメークするようになって、もうすぐ丸4年。2020年4月、社会人3年目。

 

2020年3月、良く晴れた日、コロナウイルスの蔓延直前。

大好きな中高同期と、銀座のオーバカナルでオムレツとオニオングラタンスープ、いちごのカスタードクリームタルトを食べた。当時の日本人はマスク着用せず、大ごとだと感じていなかった。その親友なんて1週間後にオーストラリア旅行へ行ったし(しかも家族で)。だが若干の後ろめたさは感じていて、それでも遊びたいから、この3連休をラストチャンスとして、多くの人が外へ出ていたように思う。

この日はパンデミック前、最後の、休日の鮮やかな記憶。写真もたくさん残っている。

この時の自分はどんな人間だったろうと考える。

3連休の初日だったのかな、終日一緒にいて、軽装で、おしゃべりは相変わらず楽しかった。ずっと仲良くしている友人と、同じ学年で社会人2年目を終えて、未来は明るい。希望と、楽しみがたくさんあった。とっても楽しかった記憶がある。今の自分と違う、希望を抱いた時期だった。

今の会社に転職し、自分の道に大した疑念と後悔を持たず、好きなものに忠実だった。料理ハワイと甘いもの、陽を浴びて、散歩すること。当時の彼氏。

私はゆっくりのんびり、そして深く己に向き合う、"創造する"姿勢が強かった。

人生の楽しさ、美味しさ、当時の恋人との出逢いや、人間関係のかけがえなさを、やさしく受け止め、丁寧に扱い、それらの分析や記録に残すことを欠かさない。

優しい気持ちやかけがえのない気持ち、つまり形の無いもの。それに価値を感じ、惹かれ、忠実に生きていたように思う。

こう思うと、以降、この数年で随分と雑な性格、激しい気性になってしまった。気を病むようになった。

2020年春までの人生と、今の人生。習慣が変わると、価値観は変わる。まるで違う人生だ。当時の私とその周りは、もっとやさしかった。

やっと気づくことが出来た。この4年間、もっと気楽にいて良かったんじゃないか。純粋な気持ちで楽しんで生活する、この姿勢を維持できればよかった。運動に出逢って、ボディメイクを知って、自分が今までできなかったことをクリアしたという事実を目の当たりにし、一時的な満足を得た。一方で、周囲から認められなかったり、自分自身も認めなくなった。当時の恋人に気づいてもらえない、見てもらえなかった。

でもそれは私が変わってしまったから、良く映らなかったから、かもしれない。

私の何がいけないのかわからないまま、高いと自己評価し続けた自己肯定感は恐らく根底ではずっと低いままだったのかもしれない。

そうでなきゃこんなに出逢いに何年も翻弄されたり、がむしゃらに運動したりしないだろう。そうするうちに、行動に意志を持たず実行し、終えるようになった。

頭が働いていない。考えることが後回しどころかストップしている状態。

つまり、まずは行動する。しかしそれを顧みたり、反省することはない。ただトライするのみ、これを何年も繰り返すので、誤りの発見や、スキル向上に1度も結び付かない。もちろん満足もしない。ただの時間つぶし、へ成り下がってしまうのだ。

 

時間つぶしの癖に、実行しなければ自分を保てない。だからどんな都合よりも優先する。これでは私の人生、何も変わっていかないのだ。

 

これからの人生を、過ごす時は、、あとから振り返った時に、当時の自分に感謝するような、抱きしめたくなるような、鮮やかな記憶に残せるように生きたい。

 

私が本当に愉しさを感じることってなんだろう、なんだったんだろう。

中高時代に知った、勉強の楽しさ。頭を使って考えて、解ける愉しさ。

周囲や自分から認められる誇らしさ。

友人との何時間ものおしゃべり。

他人との相思相愛と、認め合い、人間関係の構築。

美味しいご飯、手作りのおやつと食卓。

 

運動に出逢ってから、外を走ることは楽しかった。

脚のトレーニングも。自重トレーニングも。やっぱり、程々がいいんだな。

 

今年早々3連休明けに何かがはち切れたように過食がスタートし、3週間悩まされた。

今は落ち着いている。もう同じことをしたくない。

 

その超悪習慣を断ち切ったのは、会ってみたい人の存在。

2/12に向けて、整えているところだ。

 

運動や体型、食べること、に重きをおくよりも

一度解放してあげる。そして、自分の身の回りのことをまんべんなく愛してあげること、保つことが今後、大切なんじゃないかな。

 

 

 

運動とボディメイクのきっかけは、コロナ禍。

一切の外出を許されない状況に一点の光、尾身会長がおっしゃった。

 

"ランニングなら、やっても良いよ。野外だから感染リスクは低いし、マスクで覆ってね"

 

これが散歩・外出好き、かつ運動習慣ゼロ出来ないな私の人生リスタートを後押しした。自分の体、見た目、こころが変わっていくにつれ、試行錯誤を繰り返し、自分を造ることに夢中となる。そ今もそうだ、ただ、少し攻撃的になったし、雑な性格になった。

 

まもなく5年目を迎える。信じられない、そんなに経過したか。まさか自分がこんなに続けられることがあるなんて、思いもしなかった。人生で初めてだ。

私の中ではまだまだ"新しい趣味"の位置づけである、筋力トレーニングと運動。

ただ、これからは常に、気持ちや思考を保った上で選択をすること。

そうでないと、今回のように、昔を思い出せなくなるくらい、がむしゃらに没頭してしまう。(実際は没頭していない、ただ周りが見えていないだけ)

 

とはいえ、失敗は今後必ず発生する。沢山する。

その時は後悔を長引かせないことだ。また、後悔するにとどまらないこと。

反省すべきだ。そしてじっくりここに書きながら考えて、解決策を見つけたり、見直しをすればよいのだ。

 

とか言いながら私はいまだに、コロナ禍にピリオドを打った元恋人との5年間に想いを馳せ続けているので、これも良くないんだな、ほんとうは…。

 

こういう時間がとても好きなのだ、日記を書く時間が。

 

運動と、出逢いを求めることに時間を割きすぎていては、なかなか続けられない事だ。

だからこの数年間、全くできていなかったのだ。

 

この習慣は良いな、しっかり書いていこうと思う。

 

とても集中できた。この出逢いに感謝する。