ONCE UPON Reonard's TIME

Now is getting "history" I can't help feeling nostalgic.

"失敗"の意味。

自分が失敗したなと感じる瞬間、よくある。

そんな時は反省して、学ぶということが、自分の納得いく人生、未来を創ることにつながるのであろう。

 

ボディメークするようになって、もうすぐ丸4年。2020年4月、社会人3年目。

 

2020年3月、良く晴れた日、コロナウイルスの蔓延直前。

大好きな中高同期と、銀座のオーバカナルでオムレツとオニオングラタンスープ、いちごのカスタードクリームタルトを食べた。当時の日本人はマスク着用せず、大ごとだと感じていなかった。その親友なんて1週間後にオーストラリア旅行へ行ったし(しかも家族で)。だが若干の後ろめたさは感じていて、それでも遊びたいから、この3連休をラストチャンスとして、多くの人が外へ出ていたように思う。

この日はパンデミック前、最後の、休日の鮮やかな記憶。写真もたくさん残っている。

この時の自分はどんな人間だったろうと考える。

3連休の初日だったのかな、終日一緒にいて、軽装で、おしゃべりは相変わらず楽しかった。ずっと仲良くしている友人と、同じ学年で社会人2年目を終えて、未来は明るい。希望と、楽しみがたくさんあった。とっても楽しかった記憶がある。今の自分と違う、希望を抱いた時期だった。

今の会社に転職し、自分の道に大した疑念と後悔を持たず、好きなものに忠実だった。料理ハワイと甘いもの、陽を浴びて、散歩すること。当時の彼氏。

私はゆっくりのんびり、そして深く己に向き合う、"創造する"姿勢が強かった。

人生の楽しさ、美味しさ、当時の恋人との出逢いや、人間関係のかけがえなさを、やさしく受け止め、丁寧に扱い、それらの分析や記録に残すことを欠かさない。

優しい気持ちやかけがえのない気持ち、つまり形の無いもの。それに価値を感じ、惹かれ、忠実に生きていたように思う。

こう思うと、以降、この数年で随分と雑な性格、激しい気性になってしまった。気を病むようになった。

2020年春までの人生と、今の人生。習慣が変わると、価値観は変わる。まるで違う人生だ。当時の私とその周りは、もっとやさしかった。

やっと気づくことが出来た。この4年間、もっと気楽にいて良かったんじゃないか。純粋な気持ちで楽しんで生活する、この姿勢を維持できればよかった。運動に出逢って、ボディメイクを知って、自分が今までできなかったことをクリアしたという事実を目の当たりにし、一時的な満足を得た。一方で、周囲から認められなかったり、自分自身も認めなくなった。当時の恋人に気づいてもらえない、見てもらえなかった。

でもそれは私が変わってしまったから、良く映らなかったから、かもしれない。

私の何がいけないのかわからないまま、高いと自己評価し続けた自己肯定感は恐らく根底ではずっと低いままだったのかもしれない。

そうでなきゃこんなに出逢いに何年も翻弄されたり、がむしゃらに運動したりしないだろう。そうするうちに、行動に意志を持たず実行し、終えるようになった。

頭が働いていない。考えることが後回しどころかストップしている状態。

つまり、まずは行動する。しかしそれを顧みたり、反省することはない。ただトライするのみ、これを何年も繰り返すので、誤りの発見や、スキル向上に1度も結び付かない。もちろん満足もしない。ただの時間つぶし、へ成り下がってしまうのだ。

 

時間つぶしの癖に、実行しなければ自分を保てない。だからどんな都合よりも優先する。これでは私の人生、何も変わっていかないのだ。

 

これからの人生を、過ごす時は、、あとから振り返った時に、当時の自分に感謝するような、抱きしめたくなるような、鮮やかな記憶に残せるように生きたい。

 

私が本当に愉しさを感じることってなんだろう、なんだったんだろう。

中高時代に知った、勉強の楽しさ。頭を使って考えて、解ける愉しさ。

周囲や自分から認められる誇らしさ。

友人との何時間ものおしゃべり。

他人との相思相愛と、認め合い、人間関係の構築。

美味しいご飯、手作りのおやつと食卓。

 

運動に出逢ってから、外を走ることは楽しかった。

脚のトレーニングも。自重トレーニングも。やっぱり、程々がいいんだな。

 

今年早々3連休明けに何かがはち切れたように過食がスタートし、3週間悩まされた。

今は落ち着いている。もう同じことをしたくない。

 

その超悪習慣を断ち切ったのは、会ってみたい人の存在。

2/12に向けて、整えているところだ。

 

運動や体型、食べること、に重きをおくよりも

一度解放してあげる。そして、自分の身の回りのことをまんべんなく愛してあげること、保つことが今後、大切なんじゃないかな。

 

 

 

運動とボディメイクのきっかけは、コロナ禍。

一切の外出を許されない状況に一点の光、尾身会長がおっしゃった。

 

"ランニングなら、やっても良いよ。野外だから感染リスクは低いし、マスクで覆ってね"

 

これが散歩・外出好き、かつ運動習慣ゼロ出来ないな私の人生リスタートを後押しした。自分の体、見た目、こころが変わっていくにつれ、試行錯誤を繰り返し、自分を造ることに夢中となる。そ今もそうだ、ただ、少し攻撃的になったし、雑な性格になった。

 

まもなく5年目を迎える。信じられない、そんなに経過したか。まさか自分がこんなに続けられることがあるなんて、思いもしなかった。人生で初めてだ。

私の中ではまだまだ"新しい趣味"の位置づけである、筋力トレーニングと運動。

ただ、これからは常に、気持ちや思考を保った上で選択をすること。

そうでないと、今回のように、昔を思い出せなくなるくらい、がむしゃらに没頭してしまう。(実際は没頭していない、ただ周りが見えていないだけ)

 

とはいえ、失敗は今後必ず発生する。沢山する。

その時は後悔を長引かせないことだ。また、後悔するにとどまらないこと。

反省すべきだ。そしてじっくりここに書きながら考えて、解決策を見つけたり、見直しをすればよいのだ。

 

とか言いながら私はいまだに、コロナ禍にピリオドを打った元恋人との5年間に想いを馳せ続けているので、これも良くないんだな、ほんとうは…。

 

こういう時間がとても好きなのだ、日記を書く時間が。

 

運動と、出逢いを求めることに時間を割きすぎていては、なかなか続けられない事だ。

だからこの数年間、全くできていなかったのだ。

 

この習慣は良いな、しっかり書いていこうと思う。

 

とても集中できた。この出逢いに感謝する。